セオン創業物語

弊社代表の本多が設立に至った軌跡

Coffee or Tea?

本多は、高校を卒業すると、かねてから念願だったアメリカ大陸一周の一人旅へ出ました。そのときに「Coffee or Tea?」も聞き取れず、英語力の無さに衝撃をうけました。そのため、テンプル大学日本校で英語の環境に慣れるべく勉強をはじめ、1年後にフィラデルフィア本校へ編入することになりました。

当初は、フィラデルフィアでの学生生活を楽しもうとした本多でしたが、大学の授業についていくためには、必死で勉強しなければなりませんでした。その努力のかいもあり、優秀な成績をあげることができるようになりました。そこで、さらなる可能性を模索し、「ニューヨーク」への引越を決断しました。

誰もが無謀と言ったトリプルメジャー

編入した本多は、ニューヨーク市立大学では、マーケティング学部・経営学部・哲学学部という3つの学部に所属をしました。「You are crazy !」と誰もが無謀だというような決断でしたが、トリプルメジャー(3学部所属)となりました。ここで本多は、満足のいく成績を修めたことで、さらなる幅を持った勉強をしたいと思うようになりました。それは、以前に就学していたテンプル大学に「学ばなければならないと感じる魅力的な授業」があったことを発見したからでした。

それからの本多は、ここでも周囲の友人たちから「You are crazy !」と言われながらも、再編入したテンプル大学のあるフィラデルフィアまで毎日朝5時に起きて通学していました。しかも、ニューヨークにある自宅に戻ってからは、総合格闘技のジムに通って体を鍛えるほどのバイタリティーを身につけていました。

異国の地での輸出ビジネス

多忙ながらも充実した日々を送っていた本多は、もっとエキサイティングな生活をしたいと考えました。そこで目をつけたのは輸出ビジネスでした。しかし、そこはアメリカという異国の地。「7なし(人なし、金なし、経験なし、商品なし、技術なし、学歴なし、情報なし)」という苦境のなかで、試行錯誤の末に商売を築き上げることができました。

「Coffee or Tea?」も聞き取れなかった本多にとって、アメリカという異国の地で、多国籍な人種相手に商売をできたことは大きな自信になったといいます。

そうした商売のなかで、出会った人々と話をする中で、「今後はビジネスソフトの習得が欠かせない」本多はそう感じました。しかし、大学では理論しか学ぶことができません。そこで、本多は独学で経営診断、意思決定、プロセス分析などのソフトウェアを習得することにしました。

ミステリーショッパー

本多は輸入ビジネスで知り合ったお店の店長やオーナーに「こうやった方がお客さまは喜ぶのではないか?」と、アドバイスをしてみました。すると、次々と売り上げを伸ばしていったのです。このことをマーケティングや経営を教える教授に相談すると、それこそがお客さまになりすましてお店を利用する「ミステリーショッパー」という手法であることを知ったのです。

その後、本多は教授から基本を学び、アメリカはもちろんヨーロッパ各国を周り、お店数千店舗を訪れて、ミステリーショッパーの独自体系を確立するにいたりました。次第に本多は「このノウハウを、日本で広めることはできないか」と、真剣に考えるようになりました。

会社が元気になるキッカケを与えること

結局、本多は卒業を約3ヶ月前に控えていたにもかかわらず、中退し成功をおさめていた輸出ビジネスも辞めて、日本へ戻りました。持ち帰ったのは、ミステリーショッパーのノウハウだけです。本多は日本のお店の実態を把握するため、帰国後しばらくはリサーチ業に専念したのです。

ビジネスインテリジェンスを設立し、様々な事業に手を出しましたが、どれもうまくいかずに、まもなく撤退することになりました。こうして本多は、「なぜその商売をやるのか?」という根本的な理念がない商売は失敗するのだと思い知らされたのです。そして自分の人生を「会社が元気になるキッカケを与えること」に賭けると誓ったのです。

日本初のサービスマーケティング会社を設立

さまざまな成功と挫折を経験した本多は、リサーチとサービスマーケティングの実験的な試みを重ね、2000年4月に日本初のサービスマーケティング会社ポーカルコム(現セオン)を設立しました。

輸出ビジネスで培ったビジネスイロハと独自ノウハウを元に、以後、覆面調査やリサーチによって、実績を積み重ねています。現在では多くのクライアントが上場企業であり、サービスマーケティングの見地から実施を通した助言を行っています。

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